Happy Method

健康的な心・体・思考・行動・習慣で幸せに生きる方法





生き方とは「命の使い方」~「どう生きるか」ではなく「この命を何に使いたいか」

 

自分はどう生きたいのか。
どう生きることが自分にとってベストなことなのか。
どう生きることが幸せなのか。
どう生きるべきか。

最近、そんなことをずっと考えていました。

何か大きなことを為さなければいけない。
聖人君子のように生きなければならない。
無意味に無作為に生きてはいけない。
そんな生き方をしなければならない。

信念のある生き方や意味のある人生が良しとされているような世間の風潮に、すっかり感化されてしまっていました。

でも、そのような中で、「どう生きるか」「どう生きていきたいか」という答えは見つけることができませんでした。

どうしていいかわからない、でも、早く答えを見つけて動き出さなければならない。

そんな焦りの中、ふと、「命の使い方」というフレーズが頭に浮かびました。

どこで、どうやって、その文字の連なりを見たのか、あるいは聞いたのか、覚えていません。

無意識化で反応したのか、その言葉にふれた瞬間のことは記憶にないのです。

それから、急に自分の中から「どのように限りある命を使いたいか」という問いが出てきました。

その瞬間、それまでどんなに考えても出てこなかった生き方、「どうやって生きていきたいか」という答えが出てきました。

「これから私は何に時間を使っていきたいか」にフォーカスした瞬間、今までは選択肢にあったことが消え、代わりに新たな選択肢が生まれたりして、不思議と心が決まったのです。

自分が過ごしたい環境、自分が一緒にいたいと思う人、自分がしたい仕事や働き方、多くの時間を費やしたいと思うこと。

「生き方」という漠然としたものではなく、もっとブレイクダウンした「日々の時間の使い方=命」という視点で物事を考えた時、それまでの思考がガラリと変わったのです。

「どう生きるか」と「この命をどう使うか」という自分への問いかけは同じことを意味しています。

「生き方」という言葉には、本来の意味以上に色々な付加価値や意味が付いてしまっていて、「生き方」と定義してしまうと、どこか立派で崇高なものでないといけないような気がしてしまいます。

でも、「限りある命をどう使いたいか」という問いはもっと単純です。

この瞬間、10分後、1時間後、1日後、1年後…自分が使えるすべての時間を何に使いたいか、ただそれだけ。

私の祖父は、高齢になってから大病を2回(3回?)ほど患い、それを克服した後は余命を「好きなことをして好きな物を好きなだけ飲食する」生き方を選びました。
最後は胃への負担が原因で、自分を含め、周囲を真っ赤に染めてその命を終えたそうです。
(もっとも、祖父の場合は身体の老化もあったので、ある意味自然なことではあるのですが)。

病気の方やご年配の方は、ある程度、ご自身で命の限りを認識されているから、この「命の使い方」に関しての考え方には比較的簡単に至れるのだというようなことを聞きました。
でも、特にそのような制約がはっきりと見えていない場合、自覚できていない場合、どうしても「生き方迷子」になってしまうこともあると思うんです。
特に、「生き方」にカッコよさや何かカリスマ性のようなすごさを秘めていることが良しとされるような世の中では。

でも、シンプルに、「限りある命=限りある時間を、何をして、何に使って生きていきたいか」=「生き方」でいいのかな、という結論に至りました。

例えば、「毎日楽しくテレビを観ることに時間を使いたい」「漫画を読むことに時間を使いたい」「とにかく遊びほうけて楽しいことに時間を使いたい」「とにかく眠っていたい」でもいいと思うんです。
本人がそうしたいのであれば。
本人がそれで幸せなのであれば。
それも立派な生き方ですし、他人には「無駄なこと」「無意味なこと」と思えるようなことでも、それをやることを自分に許してあげることができるようになれば、それでいいのかなと気づきました。
人生の主役は自分自身で、その人生脚本は自分で描けるのですから。

好きな何かのために、心を通わせたい何かのために命を使う。
そういう生き方でいいのだと思います。

 

末期の肺癌で、余命半年と診断された48歳のサラリーマンの心情と生き方を描いた、秋元康さん原作、役所広司さん主演の2007年公開の映画『象の背中』。
GYAO!で2018年6月1日(金)~6月30日(土)まで配信しています。


本日も「Happy Method」をお読みくださり、ありがとうございました。
後悔しない、嘘のない、自分に恥じない生き方を。